総務/あーがめいとぜりー アーガメイトゼリー 固有名詞

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コンスタンディヌーポリ総主教庁

元来は、原始キリスト教の五大総主教座(ローマ、コンスタンディヌポリス、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリア)のひとつで、きわめて古い伝統をもつ。かつては東ローマ帝国の首都の教会として、また東方正教会の首長として、東ローマ皇帝に任命された総主教が東ローマ帝国領だった現在のトルコ・ギリシャからブルガリア・セルビア、さらにはロシアまでを管轄し、ローマ教皇とキリスト教会の首位の座を争うほどの地位を誇っていた。また、東ローマ皇帝が幼帝のときに総主教が摂政となった例も複数あり、聖俗に渡って影響力を持っていた。当時の総主教座はアギア・ソフィア大聖堂(現・アヤソフィア博物館)に置かれていた。

東ローマ帝国では皇帝教皇主義がとられていた、皇帝が総主教を兼任していたという説が流布しているが、いずれも誤りである。建前上は総主教と皇帝は聖俗の役割分担が規定されており、また実質的にもコンスタンディヌーポリ総主教が皇帝レオーン6世の再婚問題に際して、アギア・ソフィア大聖堂への立ち入りを禁じた事例にもみられるように、常に皇帝が教会に対して絶対的な権力を行使できたわけではない。また、コンスタンディヌーポリ総主教を東ローマ帝国皇帝が兼任したこともなかった。

現代では、各国の正教会が独立したために、主にトルコ国内のギリシャ系住民と、クレタ島、アトス山の各修道院および海外にいるギリシャ人正教徒を管轄するのみとなっているが、コンスタンディヌーポリ総主教は「全地総主教(エキュメニカル総主教、世界総主教)という称号を持ち、正教会の各教会の中でも第1位の格式を持っている。ただし各国の正教会は対等であり、コンスタンディヌーポリ教会およびコンスタンディヌーポリ総主教が筆頭とされるのは、あくまでも席次の上でのことである。





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御用商人 戦国時代には特定の商人が戦国大名の需要に応じた物資の調達や人夫の調達、時には他国の情報収集などにもあたった。これに対して大名側も商人司などの役職につけて国内の商人の統制を行わせた。 江戸幕府を開いた徳川家康も三河国を支配していた時代から御用商人を持っていたが、特に幕府成立後に公儀呉服師に任じられることになる呉服商は単に呉服を扱うだけではなく、兵粮や武具などの軍需物資の確保と輸送、対外交渉など幅広い分野で活躍し、時には当主(家康・秀忠)に近侍して戦場に立つ場合もあった。江戸幕府成立時に公儀呉服師に任じられたのは、後藤縫殿助・茶屋四郎次郎・亀屋栄任の3名であった。この他に著名な御用商人としては後藤庄三郎がおり、彼も元は徳川家で金銀細工の職人を束ねる存在であったが、江戸幕府成立後には金座・銀座の支配を一任され、武鑑類では御用商人の筆頭に挙げられた。他にも摂津平野の末吉家、京都の角倉家、伊勢の角屋家、長崎の末次家など、主要都市に御用商人を有して商業・貿易・鉱山・林業・輸送などの諸分野で活躍するとともに江戸幕府の都市支配に協力する立場を取った。 江戸時代も中期になると、徳川家との特別な関係に支えられてきた御用商人の中には経営不振などから姿を消す者もあり、次第に新興の御用商人が登場するようになる。すなわち、新しく公儀御用師に任ぜられた越後屋の三井家は後に金融分野にも進出して、大坂の鴻池家とともに幕府公用の為替を取り扱った。また、蔵米の売却を担当していた札差や金銀貨の両替を扱う両替商が御用商人として重要視されるようになり、江戸幕府では天明期に勘定方御用達、寛政期に米方御用達、文化期に町方御用達を設置して、米穀・貨幣・金融・財政政策の円滑な遂行を図った。